実践空手 白蓮会館 和歌山支部 田辺道場の紹介

白蓮会館とは

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実践空手 白蓮会館とは

本当の強さとは、真の武道とは

人は誰でも強くなりたいと考えている。もっとも、-口に強さと言っても様々で、人によってその求める強さの性質も違っている。ある人は健康で丈夫な身体を、ある人はどんな困難をも跳ね返し乗り越えられる精神の強さを、またある人は身にふりかかる火の粉を自分で払い退けられる護身の技を、それぞれ己の強さのバロメーターにしている。最低何とか自分の身は守れるという自信が、真の勇気につながるのは確かだが、相手を制する技をいくら数多く知っていても、それだけでは逞しい人生を生きているということにはつながらない。

度胸がよい、腕がたつ、ということと強健な肉体を持つこととは必ずしも-致するわけではない。剛健な肉体や力の持ち主が精神面の弱さからノイローゼになったり、自らの命を絶ったりする例も少なくない。よく強健なる肉体に健全な精神が宿ると言われるが、そのためには日々不断の努力が必要なのである。

「護身練胆」「健康増進」「精神修業」を『三徳』とし、本当の強さを求めるのなら、“カラテ”の技を磨くことによって身体を鍛え、心を養う不撓不屈の精神、すなわち「押忍」の精神を造りあげることでなければならない。その意味から、白蓮会館“カラテ”は中途半端に己を甘やかさない、心身一体の厳しい修業を通じて己をよりどころとでき、『俺も強くなるからお前も強くなれ!』といった建設的な“カラテ”でなければならない。

いくら強くなりたいといっても、他人を敵視し社会との関わりを無視するようでは、暴慢で我の強い人間に育ちかねないのである。修業という意味では「-撃必殺」の技を鍛えるのも技術上の理想であるが、精神は「一拳多生」であるべきであり、自分の弱さを知り又それを克服してゆく「自己確立」の精神と我々は社会で生き、生かされているゆえ、誠実で明るく協調性と礼節を重んじなければならない。『武士道』で言えば常に刀の刃を磨いておかなければならないが、それをそっと鞘に収め、実際には抜くことのないよう努めなければならない。要するに「武徳」でもって人生観を豊富にし、小さないざこざや私闘を避けるように努めなければならない。まさしくその精神が“武道カラテ”の理想なのである。

白蓮会館の道場は互いに突き蹴りを出し、そしてそれを受け返し、また逆技を掛け合いながら、その中で素晴らしい人間関係を確立していく自他共楽の場である。

 

道場での修業の心得

白蓮会館のカラテは単なる格闘技やスポーツではない。 道場とはいろんな人達が集まりそして汗を流し、技術の習得を通じ人間形成をなしていく場である。まずそのために修業の目的を確立することが大事である。

人はそれぞれに目的があって入門・入会してきます。ある人は年齢的な体力の低下を感じ、これの向上を計ろうとする者、精神修養や護身の技術を学びたい者、女子であれば護身の技術はさることながら美容と健康を維持したい者、子供を預ける親としては礼儀作法やいじめの問題を考え、また若者は強くなりたいというロマンをもち、そして世界的に確立されているフルコンタクトルールの中でチャンピオンを目指し、将来は道場を持ち後輩を育成していきたい者、そして世界に翔きたい者、というふうにその目的は十人十色である。

ゆえに指導者は練習生の体格や身体の状態に気を配りながら、ともに道場に来ることが楽しみになるような雰囲気を道場全体に育てなければならない。つまり修業の目的である、自らをよりどころとなるような「自己確立」や技術は自分一人では成し遂げることはできない。相手があって初めて習得できるのである。相手を敬い思いやる「自他共楽」の精神で行動力をもった人間に自らを変革していくことに修業の本質と意義がある。

  •  1.基本を学ぶこと

  •  2.理を知ること

  •  3.数をこなすこと

  •  4.修行を片寄せぬこと

  •  5.継続は力なり

  •  6.入門、入会について

  •  7.空手界の現状

 

パビリオンシティすぐそば TEL 090-8821-9859

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